管理,治療
妊娠していない婦人科疾患を背景とした貧血,ならびに妊娠 9 週未満の例においては Hb 値 11g/dL未満および / または Ht 値 33% 未満を貧血とし治療することを推奨する。
妊娠 9 週以降では,Hb 値 11g/dL 未満および /または Ht 値 33% 未満で平均赤血球容積(MCV)が 85μm3 未満では経口鉄剤投与が推奨される。
なお,妊娠中の母体・胎児の鉄利用には鉄調節ホルモンであるヘプシジンが重要な役割を演じており(図Ⅲ-2-iii-4),妊娠産褥の各時期により経口鉄剤の吸収効率が異なることに留意する必要がある。

また,MCV が 85μm3 以上では Hb 値が 9g/dL 程度までは鉄分を多く含む食事療法を行うのが一般的であるが,鉄欠乏に関する評価を適宜行う。
ヒジキ,ホウレンソウなどは単位重量当たりの鉄含有が大きいため推奨されるが,レバーなど脂溶性ビタミン(ビタミン A)を豊富に含む食材は胎児への蓄積毒性を考慮して鉄補充目的としては奨められない。
妊娠中の鉄欠乏性貧血は5)早産や低出生体重児などの疾患の原因となるとの報告がある6)7)。
一方で,妊娠中の鉄剤の補充により胎児の予後(周産期予後)が改善する明確な根拠は十分でないとして,北米では母体の貧血自体の改善を目的として鉄剤投与を推奨している8)。
また,貧血と産後うつなどとの関連性が指摘されるが,否定的な報告もある9)。
Ht 値と深部静脈血栓症発症リスクの明らかな相関関係は示されていないが,妊娠初期は妊娠悪阻による血液濃縮を伴いやすく,同時期に深部静脈血栓症発症例が多いことが報告されている10)。
なお,国際産婦人科連合(FIGO)の分娩後女性への推奨では,Hb 値が正常範囲となっても,貯蔵鉄を充填するため,鉄の補充は 3 カ月間,少なくとも産後 6 週間の投与を推奨している11)。
また,鉄剤投与が推奨される例のうち,以下に示す場合では経口鉄剤から静脈内投与(静注)鉄剤への変更が推奨される。
『鉄剤の適正使用による貧血治療指針 改訂第 3 版』12)では,
①副作用が強く経口鉄剤を服用できない,
②出血など鉄の損失が多く経口鉄剤で間に合わない,
③消化器疾患(炎症性腸疾患など)で鉄剤の内服が不適切,
④消化管からの鉄吸収低下例,
⑤透析や自己血輸血の際の鉄補給の場合,
が挙げられている。
婦人科領域,産科領域では,
①の該当例とともに,
②である過多月経後重症貧血,分娩時大量出血後貧血が該当する。
また,⑤の予定手術療法時の貯血式自己血輸血の貯血時鉄補充が相当する。
近年,2000 年代に入り,従来指摘されていた静注鉄剤によるアレルギー反応や過剰鉄のリスクを低減化するため,直鎖状オリゴ糖‒鉄分子複合体などアレルギー反応の惹起が理論上低く,構造上,鉄の徐放性を特徴とした製剤が開発された。
日本においても,デルイソマルトース第二鉄13)やカルボキシマルトース第二鉄が製造販売承認を得ている。
これら新規静注鉄剤の導入後,同鉄剤を用いた大量急速投与による鉄補充の選択肢が得られている。
一方,経口鉄剤についても従来のクエン酸第一鉄製剤と比較して,悪心嘔吐といった副作用発現率の低減化が認められたクエン酸第二鉄製剤14)に効能追加が承認された。
経口鉄剤から静脈内投与(静注)鉄剤への変更に当たり考慮される選択肢である。
『科学的根拠に基づいた赤血球製剤の使用ガイドライン(改訂第 2 版)』では,鉄欠乏性貧血などの補充療法で改善する患者において生命の維持に支障をきたす恐れがある場合以外は赤血球輸血を推奨しない15)としており,鉄補充の重要性が強調されている。
なお,鉄剤投与にあたっては総鉄投与量算出の内田らの式16)があるが,静注鉄剤は経口鉄剤と異なり,消化管におけるヘプシジン‒フェロポーチンによる鉄代謝制御を受けにくい。
そのため鉄過剰のリスクを回避するため,投与終了後 8 週間以降を目安に, Hb 濃度,血清フェリチン値を参考とし,患者の状態を注意深く観察する必要がある。
また,添付文書上は「妊婦又は妊娠している可能性のある女性には,治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与する」とされている。
大量出血の予想される帝王切開時での貯血式自己血輸血の貯血時鉄補充や経口鉄剤忍容性のない重症貧血は別として,妊婦の投与対象については慎重に判断管理することが望ましい。